プロフィール

働きたくないアラフォー子供部屋おじさん。
音楽専門卒→フリーターバンドマン、夜勤15年→無職へ。
2021/12/1から無職ニート生活。
ニコニコ漫画に1ページ日常漫画投稿中↓
話し相手がいないからここに描く。

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「ガキの使い笑ってはいけない」のエディーマーフィー浜田は人種差別なのか

お笑い

やっぱりこれは人種差別になっちゃう
んでしょうか?

差別の概念自体なかったから
当然差別しないで笑いとして
見れていた、
でも後々言われて差別だと知り
深く歴史を知るほど興味もないから
だったら面倒だからやめとこうかになり
タブーになっていくと思うんですね
で、それ自体の方が差別というか
区別しすぎじゃんって思うけど

こうしてどんどん笑えることが
少なくなっていきますね
M-1 2021のももの偏見漫才は
それほど叩かれていなかったので
まだ大丈夫かと思いつつ
あの辺のこともタブーになっていく
んでしょうか

ぼくは禿げたらハゲって言ってほしいし
太ったらデブって言ってほしい
ですけどね、キャラ立つし

でも
そうじゃない人が増えていくんでしょう

ここからは2018年1月に書いた記事です

大晦日にあった『絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス』は僕は例年の「笑ってはいけないシリーズ」に比べるとちょっと期待外れだった。腹筋崩壊、抱腹絶倒するようなインパクトのある笑いは少なかった。

でもアタリもあった。僕が一番笑ったのは浜田扮するエディーマーフィーだった。

しかしどうやらこの放送後に、このエディーマーフィー浜田が人種差別ではないかと物議を醸しているようだ。海外でも取り上げられているらしい。あれは差別であるらしい。難しいな、世の中は。

アメリカBBCやNYタイムズが報道

今回の件、アメリカでニュースになっているのだとか。

news.livedoor.com

日本在住の黒人作家、バイエ・マクニールさんもツイッターで
「ブラックフェイスやってる日本人に告ぐ。ブラックフェイスはジョークのオチなんかじゃない。ジョークが欲しいならもっと良い脚本家を雇え。黒人キャラが欲しいなら日本語を話す黒人を雇え。ブラックフェイスはや め ろ」
と不快感を示し、強い口調で糾弾した。

騒動は国外にも広がり、英BBC(電子版)や米ニューヨーク・タイムズ紙(同)も1月3日、マクニールさんのツイートを引用する形で報道。

海外では「黒塗りメーク」は差別表現と認識されるが、そうした文化的背景に日本人は自覚的なのかをめぐり議論になっている、とBBCは伝えている。

海外では黒塗りメイクは差別表現として認識されるらしい。

では逆に、白塗りメイクは差別表現なのだろうか。違うはずだ。昔からバカ殿とか、それこそ京都の舞妓があるし。それは特に海外腹批判されるようなことになったという記憶はない。

とすると、黒い肌だけが差別なのだろうか?

敏感すぎてネガティブな感じがする。

コスプレ、モノマネもダメ?

僕なんかは人種差別された経験はないし、多くの日本人がそうだと思う。その多くの日本人の笑いの感覚に向けて放送された番組の笑いの手法なので、差別なんて言われるとちょっと意味がわからないと率直に思ってしまう。

差別なんて気持ちは一瞬も湧かなかった。僕にとって、あれは面白かった。

アメリカが今回のテーマで、みんな保安官的な装いの中、最後のオチがエディーマーフィー。日本人には馴染みのあるアメリカ人が急に浜田の顔面クオリティで出現する。浜田の顔面のポテンシャルを存分に活かした笑いだった。

当然差別しているわけじゃない。純粋に3段オチというか、「保安官、保安官、”なぜか”エディーマーフィー」という笑いだ。

黒塗りメイク問題とか黒人をバカにしているとか取り上げられているけど、そもそもあれはエディーマーフィーなのだ。「浜田だけなんでエディーマーフィー?」という笑いなのである。

言うなればモノマネなのである。似ていないモノマネ、だからこそ面白い。離れすぎているので面白いのだ。

これがダメなら、日本人が白人の真似をするようなコスプレ文化とかもダメなのだろうか。

ハリウッドは白人が活躍して世界を救って最後は男女が抱き合って終わる系SF映画の何処かに必ず黒人を配役するけど、例えばその黒人のコスプレをしたりするのはダメなんだろうか。

日本人にはわからない

黒人差別は現代のリベラルな白人にとっては負の遺産で敏感な話題なのだと思う。

でも、敏感になってナーバスになって、見て見ないふりをしているということもあると思う。実際に海外ではまだ差別があるから、そんな話題は極端に嫌うのだ。

この件についてこんなツイートがあった。

リンク先の動画を見たけど、僕は価値観が変わることはなかった。けれども新しい価値観が増えたような感じだ。「そうかこういう文脈もあるのか」と。歴史を知って情報が増えて考えることになった。

ただ、頭ごなしに「黒塗りメイクはダメ」ではタブーとして蓋をするだけではなかろうか?単純に表現の幅が狭まる気がする。黒人のモノマネを黒人以外ができないということになってくる。

君の心のブラック・ピーター

リンク先の『君の心のブラック・ピーター』という動画は、オランダの人種差別の現状を追ったドキュメンタリーだ。

オランダではクリスマスを祝う時、白人のサンタクロースが黒人の従者を引き連れて船に乗って現れる、というお祭りをやっているらしい。

とても興味深いドキュメンタリーだった。今でも差別はあった。公園で自転車の鍵を無理やり開けようとしている人が、白人だったらそもそも声をかけられないし手を貸す人も現れたりしたのに対し、黒人だったら頻繁に「何をやってるの?」と声をかけられたり警察に通報される、という映像があった。

日本人には信じられない感覚の見た目による差別だ。生々しかった。僕には本当に、わからない感覚だ。

わからない、だから考える

僕はこれまで生きてきて人種差別されたことはないし、周りにそれを感じるようなこともなかった。で、歴史も勉強していないから黒人の奴隷の歴史もふわっとしか知らない。

無知と言ってしまえばそれまでだけど、無知だからこそ偏見はないと思う。無知が恥ずかしいから考える。最初から「これは悪いことだよ」と教わるとそれが偏見と思い込みでおかしくなると思う。

「濃く塗りメイクはダメ!差別!」と決めつけてしまってはそこで思考停止してしまうのではないだろうか。無知が頭ごなしの否定から学ぶのは難しい。

浜田の黒塗りメイクがあり、なし、それは今はわからないけど、それを考えることが大切だと思う。

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