新型コロナウイルスの影響で、マスクやトイレットペーパーなどが品薄になっていますね。ドラッグストアなどに、入荷して陳列される早朝の開店時を狙って行列ができているらしいです。
で、そのほとんどが老人。
ドラッグストア店員の悲鳴も聞こえてきて、老人たちの行動は批判されています。
外出や濃厚接触のリスクがあるにもかかわらず、なぜ老人は行列を作るのか。老人は暇だからとか言われています。まあそういう理由もあると思います。
でも考えてみると、老人なんだから不安なのは当たり前で、マスクを過剰に求めてしまうのもしょうがないんじゃないかなって思ったんですよね。
今回のウイルスでは60歳以上かつ、もともと健康状態が悪かった人が亡くなっています。高齢と健康状態がキーワードですね。
そうなると高齢という点で既に当てはまる老人たちは不安を感じて当然です。健康状態だってそうです。自分の健康に自信を持っている人なんてそうそういない気がします。それが、高齢者だったらなおさらで。
言わばこのパンデミックの当事者と言える高齢者にとっては、過剰でもできるだけの対策はしたくなってしまうんじゃないでしょうか。
高齢者は、ぼくら中年以下が感じている不安よりもより大きな不安を抱えているはず。
そんな不安と、自由にできる時間があるのが高齢者です。自由な時間に考えなくても良いことを考えたりしてしまって、より不安が募っているのではないでしょうか。
不安を払拭するため、いてもたってもいられなくなりドラッグストアに並んでしまうんじゃないかと思います。
そう、老人って時間があるんですよね。用もないのに病院に行ったりします。病院がコミュニケーションの場になったりしているんですね。眼科とかにめちゃくちゃ高齢者がいて、そのせいで待ち時間がべらぼうに長いなんて状況になってたり。
高齢者のコミュニケーションの場がもっと他にあったりすればいいんですけどね。
こういう老人たちには、正しい行動をとるように説明すると同時に、不安な時間を埋めるようなコミュニケーションの場を提供できれば良いんだろうなと。
なんで不安かってそりゃ死ぬからですよね。ぼくももうアラフォーですが、やっぱり10代20代の頃よりは死を考えるようになりました。人生7、80年として約半分が、それも、良い方の半分が過ぎてしまったので、どうしても考えるようになるんですね。
思い返せば20代なんて早く死んでもいいなんて考えていました。別に今が楽しいからいいじゃんって感じでした。
そう考えるのって今になって思えば経験がない馬鹿だからってのもありますが、なにより「元気だから」だったと思うんです。
結構な無理をしても寝れば元気。体は動くし元気いっぱいです。要するに死から程遠いんですね。だから死にリアリティがなくて、自分が死ぬなんてまず考えていないし、死んでもいいとか軽く考えちゃう。
これが30代に入ってきて、ぼくはちょっと変わりました。
疲れが長引いたりします。ちょっとしたことで体力が落ちていることを実感します。そういう小さいことの積み重ねで、人は徐々に衰えていくんだと初めて身をもって理解して、その終点に死がある事を意識はじめてたんですね。
この先どう考えるのかはわかりませんが、想像するに、歳を重ねれば死に近くなっていくわけで、より死について考えるなんじゃないかと思うんです。タイムリミットは明確ではないけど着実に迫ってきているわけで。
学生時代、介護の実習かなんかで老人の肉体を体験する授業を受けたって話を友人から聞いたことがあります。うろ覚えですが、老人の体力を実感するために体に重りとかいろいろつけて、それで体を動かしてみるって授業だったと思います。
その授業を受けた友達は「動く気になれないからそりゃ介護必要だわ」と思ったようです。
そんな、若者からすると動く気にもなれない元気のない状態が普通の老人です。
例えば、駅の階段を一個飛ばしでジャンプして駆け上がれる元気があるって、老人からすればすごい事なんです。それくらいの元気も体力もない状態の人間が考えることって、健康で元気な人間とはだいぶ隔たりがあるはず。目に映る世界は全然違っているんだろうと思います。
年齢関わらず、体調が悪いとどうも弱気になってしいます。不安になったりします。そんな状態が普通なのが高齢者なのかなって想像します。
そう考えると、若者から見ると常に弱気な状態にあるのが老人なので、不安に駆られておかしな行動をとってしまうのもしょうがない。そういうものだと捉えて社会がなんらかの助けをできれば良いんでしょうが、、難しいんですかね、、
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