僕は「うる星やつら」を見たことがない。うる星やつらどころか、高橋留美子作品は全く馴染みがない。
それでも、ラムちゃんとかいう虎柄ビキニ女が出てくるとか、「あんまりそわそわしないで♪」と歌いだす主題歌くらいは知っている。
そんな僕が押井守監督の映画「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を見た。
繰り返される文化祭の前日
わいわいと文化祭の準備をしている仲間たち。なんだかんだありながら、楽しいひと時だ。でも、そんなひと時が永遠に続くものだとしたら、、、みたいな話。それが「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」だ。
このあらすじをどこかで聞いて、いつか見てみたいと思っていた。そしたらwowowでやっていたのでようやく見れた。
そもそも「うる星やつら」の劇場版第2作目であるようだし、うる星やつら自体ほとんど知らないので見るべきか悩んだけど、ものすごく楽しめる映画だった。
メタフィクション
この作品はメタフィクションのようなものだった。つまり、作中の主人公たちが、「あれ?俺たちずっと文化祭の準備してんじゃね?」と気がついてしまう話だ。
そのことにいち早く気がつくのが、熱血漢風の角刈り先生だ。そんな元気なおっさんが、繰り返される日常に気がついてノイローゼのようになっているのが描かれている。
作者の苦悩
僕にはその熱血角刈り先生が、日常系の作品に携わっている作者の姿に重なって見えた。
繰り返される同じ日常をずーっと描き続けているのは、作者自身だ。作品として、ストーリーがないものを描く作者側、クリエイター側の苦悩のような気がした。
ストーリーがないというのは言い過ぎかもしれない。
例えばのび太君は永遠に小学4年生だし、サザエさんは永遠に24歳だ。何が言いたいのかというと、ドラえもんもサザエさんも、歳を取っていって、時間が経過していって成長していくというストーリーではないということだ。
強大な敵を倒すために目の前の敵から撃破していく、みたいな目的のあるストーリーはない。それが日常系。
ドラえもんやサザエさんのような日常を描く作品では、その作中設定の中で面白おかしく物語を作っていかなければならない。マンネリ必至である。
そういう、作者の繰り返されるマンネリ日常の苦悩が、角刈り熱血先生のノイローゼと重なった。
「けいおん!」問題
話はそれるが、「けいおん!」を思い出した。アニメを1、2話チラッと見たことがある程度の知識なのだが、女子高生がダラダラだべる日常系のアニメだった。
その人気ゆえ、映画化されたりしていたが、たしか大学生編だ。つまり、日常系だけど、キャラクターは成長している。女子高生の日常を描く作品だったのに、それを捨て去ったのだ。
大学生になって、じゃあ次は大人になったら、一体何を描くのだろうか。主人公たちが成長したことによってなのかわからないけど、「けいおん!」という作品は結局終わってしまったようだ。
日常系はマンネリするけど、成長する主人公の日常は人気を持続できない。一長一短だ。
押井守印
作中の人物が繰り返される毎日に気がついてしまう。 この映画はそこから脱出する物語だ。ともすれば日常系の作品であれば、どんな作品でも成立しうるテーマである。
そう考えると、「うる星やつら」原作者、高橋留美子としては複雑な胸中なのかもしれない。
僕はうる星やつらを知らないからわからないけど、高橋留美子が苦心して生み出したキャラクターたちを、押井守が好き勝手に不思議な世界に連れて行ってしまうから。
でも、その押井守の技量はすごいと思う。うる星やつらを知らない僕が楽しめる映画だったのだ。それでいて、前もってうる星やつらを見、キャラクター同士の関係性を知ってから見た方がいいとも思わなかった。
もっと言うと、僕は漫画版のうる星やつらを読むことはないだろう。要するに、この映画だけで綺麗に完結した完成度の高い作品だったのだ。
おわり
「この楽しい瞬間がずっと続けばいいのに」そう思う時って多くはないけど確かにある。でもその幸せな瞬間が永遠に続くと一体どうなってしまうんだろうとか、この映画を見てそいういうことを考えた。
この作品を見た後すぐに思い返したのが、合わせ鏡のような空間で、滑稽に走り回る主人公のシーンだ。とても象徴的なシーンである。そしてそのシーンと自分の日常がリンクしてしまうような気がした。
映画はもう一つ、二つ、展開がある。そんなにネタバレはしていないつもりなので、もし気になった人がいたら是非見てみてほしい映画だ。
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