ぼくはネット上で刺激的なタイトルを見かけると、そんなに興味はないし下世話だなーとは思いつつ、つい見に行ってしまう時があります。
それはまるで、自分の屁が臭くて嫌なのについ嗅いでしまう感じに似ている気がしました。
興味はないつもりなんですよ。刺激的だったり下世話なタイトルが並ぶニュースサイト。読んでみたら結局タイトルとは違う内容のない記事も多数。
芸能ニュースとかは、どうせ顔の見えないネットライターが1の事実に100の想像力を足して半ば妄想で書いたりしているわけです。書いているうちに「こっちの方が面白いだろうなー」とか思っていつのまにか創作しちゃったりしているんじゃないでしょうか。
でも見てしまうのは、結局ぼくが噂話が好きだからなのだろうと思います。知ってどうにかなるものでもないのだけど、とりあえず見てしまう。
まあアクセスしやすくなったっていうのもありますね。1秒後にはページに飛んで読めてしまうわけなので、少しでも引っかかるところがあれば一応見てみるか、ってなります。
要するに、週刊誌がネット上に無料で存在するようになって、これまで週刊誌を読む習慣がなかったぼくも見るようになったって状況です。
タイトルの付け方に引っかかる部分を作るのがうまいもんで、ぼくなどは引っかかってしまうんですね。
一説には、ニュースサイトはタイトルをつける専門の人がいるみたいです。つまり、中身を書いている人とタイトルをつけている人は違うんですね。
というところまで知っていても、布団の中で寝れずに、あるいは起きれずにゴロゴロしている時なんかに、見てしまう自分に辟易することもあります。
そんなことを思っているとふと、屁を嗅ぐのも同じだなあと思ったんですよ。
意味がない、むしろ嫌だと感じているのにやってしまうこと。まさに自分の屁を嗅ぐ行為と同じです。
あれは何でなんですかね。放屁して「うわクサっ!」ってなって、数秒経ってまた嗅いでしまう感じ。臭いのは嫌で、臭いとわかっているのにまた嗅いでしまう感じ。
テレビが何かで「自分の屁を嗅いでしまうのは危機感がどうたらこうたらで本能的な行為だ」ときいた記憶があります。
本能的に、危険を察知する力を養っているとかなんとか。
そうすると、嫌な気持ちになるとわかっているのに読んでしまうネットニュースも、もしかしたら自分の社会的な危機感を養っているのかもしれないですね。
人間関係を少しくらいは把握しておかないとってどこかで思っているから、噂話が好きだったりするのかもしれません。
たしか、『サピエンス全史』ではホモ・サピエンスが生き残った理由の一つに噂話があるとか。我々ホモ・サピエンスには、ここにはいない誰か、第三者の存在を理解できた。なので集団を維持する力が他の種よりも優れていたから身体的に優れているネアンデルタール人すら淘汰して勝ち残った説があるみたいです。
まあぼくは自分の意志が弱いので、自分がしている行動ってどこかしらで本能と強く結びついているんだろうなとは思います。
ってわけで今日も今日とて、起きなきゃいけないのに、1時間経過してしまった布団の中からの駄文でした。
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