先日あったM-1グランプリ2018の大会後の打ち上げで、とろサーモンの久保田かずのぶとスーパーマラドーナの武智が審査員の上沼恵美子の批判をしたとして話題になっています。
大会直後の打ち上げで暴言があったようです。
ぼくは動画は見ていません。言い方はよくなかったんだろうと思いますが、M-1グランプリ2018を見ていたぼくは、とろサーモン久保田とスーマラ武智が上沼恵美子の審査に物申したくなる気持ちもわかるなあと思っています。
ぼくも上沼恵美子のミキのネタ後のコメントはちょっと引っかかったところがありました。ここではその辺のことを書こうと思います。
とろサーモン久保田とスーマラ武智が上沼恵美子の採点を批判
M-1グランプリの直後にあった打ち上げは、ネットで配信されていました。
とろサーモンの久保田とスーパーマラドーナの武智の上沼恵美子批判は、さらにその後の打ち上げでの出来事のようです。
アルコールも十分入ってきて、熱く語るモードになってきたときに出てしまった本音のようですね。
上沼恵美子の審査、点数のつけ方がおかしいんじゃないかという思いをかなり感情的に話していたようです。
問題だったのはこの模様も配信してしまったということ。この打ち上げの模様を武智がインスタライブで配信していたようです。その動画が拡散され、問題が大きくなってしまったと。
次の日に久保田と武智の二人はツイッター上で謝罪しています。しかし内容が内容だけに炎上しているという現状です。
上沼恵美子の審査のコメントに違和感
この一件、ぼくは最初に「まーそりゃそうだよなー」と思ったんですよね。つまり、審査に不満を持っても当然だと思ったんです。
大会を見ていた時から、好みを全面に出した上沼恵美子の審査のコメントには違和感がありました。
ミキとギャロップの審査
ぼくが気になったのは、上沼恵美子のミキの評価とギャロップの評価の差です。
上沼はミキを「個人的に好きだから」という理由で高得点を入れたように取れるコメントをしていたんですよね。
ギャロップの時は「自虐はダメ」とネタの評価をしていたのに、ミキが自虐ネタをやった場合は「突き抜けているから良い」と。それって単に好き嫌いで言ってるだけじゃないの?って見えてしまいます。
しかも「(ギャロップの林は)暗いねん」って、ミキのネタ後に言っていますからね。それはギャロップのネタ後に言ってやれよ、いないときに言ってやるなよと思いました。
ギャロップの自虐とミキの自虐の違い
たしかにギャロップの自虐はあまりウケていなくて、ミキの自虐はウケていました。実際ぼくもミキの方が笑えました。でもそれはミキが好きだからではありません。
ぼくは単純に認知度の問題かなあと思っています。
M-1の決勝に初進出したギャロップは、その存在をそれほど認知されていません。
お笑い芸人であの容姿で出てこられたら自虐をされても納得ですが、いかんせんまだ見慣れていないので、見ている方としては「この自虐で笑っていいのかな?」という、ほんのちょっとだけの躊躇があるんですよね。
「自虐しますよー」というようなキャッチーなフリがなかったので、まだ彼らのキャラクターを把握していない状況では笑いづらかったと。
かたやM-1の決勝へ2年連続進出していてテレビにもよく出ているミキ。2人のキャラクターは、人気のある弟に対して人気のない残念な兄、というわかりやすい構図で認知されています。
なのでミキのお兄ちゃんの自虐は笑えるんですよね。いい意味で見慣れている、お決まりのものという感じで。
好き嫌いで審査してはいけないのか
漫才を好き嫌いで審査してはいけないとかと言われると、そうでもないのだと思います。
ここ最近のM-1で、最後の3組が残る決勝の決勝では
審査が難しい
あとはもう好み
という言葉を審査員が言っている印象があります。
そう、みんな実力があってレベルが拮抗してくると、もう好みでしか差をつけられないのです。
そこまでのレベルまで達しているところでの「好み」であれば、きっと審査への批判の声も少なくなるんじゃないかと思います。拮抗したレベルのちょっとした差であれば。
ただ、それ以前のレベルでの「好み」はいただけません。じゃあ審査なんてただのお笑い好きでもできちゃうじゃんって思ってしまうんですよね。
基本的に人を審査する立場ならば好みは入れちゃダメですよね。
その「好き」は、普段から一緒に仕事をしているからとか、同じ事務所だからとか、プライベートで交流があるからとか、漫才以外での評価があるのかもしれない、情があるからかもしれないと思わせてしまうからです。
「好き」という発言があった時点で情で点数が少し上乗せられたんじゃないかと、公平性を疑ってしまうんです。
人間だから私情はあって当然です。けれども公平性が求められる審査員には、そこはもうちょっと考えて欲しかった。ここはもっと配慮してほしかったなと思います。
好きなのはいいけど、立場上それは言って欲しくないと、そう思うんです。
審査員の好みが評価を分けるんだったとしたら、どんなに努力して漫才を磨いても、生まれ持った笑いのセンスがあったとしても、審査員にハマらなかったら優勝できないということになってしまいます。
今回のM-1の審査員はぼくはすごかったなと思っています。ネタ後の評価では、言っていることに筋が通っていたので納得できるものが多かったです。さすが審査員という感じがしました。
その分、上沼恵美子のコメントは違和感があったんですよね。
おわり
今回の騒動で、やはり暴言を吐いているのは問題だなと思います。その点は問題と捉えつつ、それだけじゃなくて彼らの言い分も耳を傾けて欲しいですね。
M-1グランプリは「賞金1000万、1日で人生が変わる」そんな大会です。それだけにその明暗を分ける審査は公平だったのか、ちょっと考えてみてもいいんじゃないかと思います。
書ききれなかったこと
- 芸人たちのM-1にかける熱量がすごすぎる。出場条件を10年から15年にしたことでベテランが増えて熱い思い倍増。人生がかかっている、かけすぎている大会の審査だからより熱くなり審査に対して軋轢が生まれやすくなってしまった気がする
- 敗者復活はそもそも決勝に残れなかった組なのだからハンデとして大会のトップバッターでも良いのでは。敗者復活枠の発表とともに大会スタートで盛り上がって大会が早くあったまりそう
- もう審査はブラックボックスでも良いのでは。審査は裏方にして、もっと人数を増やしてM-1委員会みたいなものが審査すれば良い
- 「審査員してくれる人がいない」という言葉や「審査員なんて誰もしたくない」という言葉がよく聞かれる時点でなんかちょっと萎える。確固たるものがある人が審査して欲しい。そういう人がいないなら、「やっぱり笑いって順位つけられないよね」という結論で賞レースじゃなくてTVショーのM-1でいい
コメント