B’z「いつかのメリークリスマス」で歌われるようなクリスマスはもう来ない。【アラフォー日常漫画105日目】

漫画日記

クリスマスの曲といえば名曲揃いですよね。

なぜ名曲ばかりなのか?
これはまあ、この時期に集中的に
テレビやラジオや街で
よく聴くことによって、
他の曲よりも短期でガツっと
刷り込まれるから良く感じる、
っていうのが答えな気がしています。

曲って何度も聞いたら
良く聞こえてくるものです。
それがクリスマスとか、冬や雪みたいな
今まさに肌感覚で感じていることとリンク
するのでより良く感じやすい。
それが毎年ちゃんと同じ時期に来るわけで、
積み重ねられるので強いんですよね。

なんて身も蓋もない話は
この辺でやめにして、
ぼくはクリスマスといえばB’zの
「いつかのメリークリスマス」が好きです。
単純にメロディーで好きになったんだ
と思いますが、
毎年クリスマスに聞いていると
やはり歌詞の部分、物語の部分も
好きになってきます。

んでまあ、そんな思いを漫画にしました。

「普通のハードルって異常に高いな」
と思ったのはいつの頃だったでしょうか。
普通に結婚して子供生まれて、
みたいな人生って
まじでハードル高すぎです。

今や不況なのであの頃の普通が
今の普通とはだいぶ違うっていうのが
何よりも大きい気がしますけど、
でもぼくは時代関係なく、
そういう普通とは無縁の人生を
送っているだろうなと思ったりもします。

っていうのを旧ブログで書いたよなあ、
と思って今回はその記事を引っ張り出して
漫画にしてみたんですが、
書いたのはもう5年前なんですよね。
この5年の間に
何かしらいい思い出作れただろ
とも思うんですけど何もなかったです。

というわけでせっかくなので
旧ブログもここでアップし直します。

(ここから先は2015年12月に書いた記事です)

この曲を聞いていた小学生の頃の僕は、大人になったらこんなクリスマスが来るのかなあと漠然と思いながら聞いていた。

B’zの「いつかのメリークリスマス」、この時期になると必ず思い出す名曲だ。

普通に大人になって、女の子にプレゼントを当たり前のようにクールに渡したりして。そんなような恋愛を重ねて、結婚して子供ができて。。。

僕の数少ない学生時代の友人のほとんどはそんな人生を歩んでいる。もう子供がいるやつの方が多いかもしれない。

小学生の頃は、そういうのが人生なんだろう、大人なんだろうと思っていた。よくわかっていなかったが、なんとなくの憧れと、自分もこういう風になっていくのかなぁとか思っていた。

いや一応小学生の時は多少はモテてたからね、そこそこ足速かったしスポルツメンだったし。

もしその時に戻れるのなら小学生の自分に往復ビンタをしてやりたい。そんなクリスマスを過ごすべき20代はもう過ぎた。何もなかった。引きこもり気味の30代フリーターというくそったれの現実があるだけなのだ。

「大人になれば普通に」と思っていた。気がついたらいつの間にか大人になっていた。

大人になれば、サンタクロースになる。この季節にはヨドバシカメラに大量のダークスーツのサンタさん現る、と話題になる。

amaebi.net

真っ当に生きている人たちだ。立派な大人である。

この歌はリア充だったクリスマスを懐かしむ歌だ。

誰しもが一度は経験するようなほろ苦い恋愛体験。それを普遍的にドラマチックに描いて、美しいメロディーとともに語る。そりゃあ売れる。文句なしの名曲だ。

小学生の頃はいい歌だなと聞いていたが、今あたらめてくそったれな大人である僕が聞くと、突っ込んでしまうところが多々ある。

君の欲しがった椅子を買った

まず、椅子を欲しがるような女の子かわいい。家具屋にデートに行くカップルはゴール間近の圧倒的リア充。

荷物抱え 電車のなか

荷物=椅子を抱えて電車に乗る稲葉浩志まあまあ迷惑。配達頼めよと。まさか欲しがる椅子がキャンプ用の折りたたみの椅子とかなのか。

ドアを開けた 君はいそがしく
夕食を作っていた

うーんもう同棲しているのね。いや新婚なのか。その経験が色褪せるほど、時が経ってしまったのか。切ないことで。リア充の精神力はんぱない。

人を愛するということに
気がついたいつかのメリークリスマス

うん。自分が好きだから一緒にいるとかいうのではなく、自分の大切な人が喜んでくれるのが自分の幸せってやつね。うんうんわかるわかる。

何故だかわからず泣いた

この幸せを維持できるのか不安で泣いたのだろうか。今絶頂だから後を考えると怖いからか。ちなみに、手に入れたものに執着しすぎると人はどんどんおかしくなっていくので注意。

立ち止まってる僕のそばを 誰かが足早に
通り過ぎる 荷物を抱え 幸せそうな顔で

元リア充はいつかのクリスマスを思い出し、街中で立ち止まってしまう。だがしかし、そんなこととは関係なく新しい世代のリア充は続々と出現し、リア充の歴史は繰り返される。失われた幸せと、それを経験した大人の哀愁。物語として綺麗にまとまっている。

僕はそもそもリア充だったクリスマスがないから、懐かしむこともない。いつかのクリスマスの思い出がないから、街中で立ち止まったりしない。何か目的がないと街に出たりしないから、立ち止まったりしない。

いつの間にか、ハイボール片手にこんなブログを綴る薄汚れたくそったれな大人になった。はあ、しじみの味噌汁飲んで寝よう。もう朝だけど。

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