<数年前に書いたブログです>
今日は愚痴。
僕の職場はブルーカラーだ。毎日体を酷使して肉体的に疲労している。その疲れが溜まってくると、精神まで蝕まれる仕事だ。
現場では30代の僕より上の世代、40〜50代の上司も今の僕と全く同じ肉体労働をしているので「あと10年頑張ったとしてもあの感じなのかなあ」と思ってしまって未来がない。というわけで職探し中である。
「ああはなりたくないよね」
ほとんどが僕より年上の職場で、昨日は僕とほぼ同世代の人と仕事をする機会があった。その人(以降Aさん)とは久しぶりの仕事だ。
まあでもメインはというかマジョリティは40代後半だ。そのおじさんたちが仕事を仕切るし作業員もそうだ。それでまあ、楽しく仕事をしている人もいないし、仕事が好きでやっている人もいない。
そういう中で仕事をしている時にポツリとAさんが
「ああはなりたくないよね」
と言ってきた。
あまり人の悪口というか、ネガティブワードは吐かない(仕事中は)人だし、会社では立場ある人なので僕はちょっと驚いたが、「そうですよねー」と感情を込めて同調した。僕も常日頃そう思っているからだ。
言われたままに動くだけのおじさん
Aさんが「ああはなりたくない」と言った「ああ」のおじさんがその時どんな行動をしていたのかというのはちょっと具体的には書けないのだけど、まあ簡単に言ってしまうと「言われたままに動いて、自分の頭で何も考えていない行動」をとっていた。
そのおじさんはいつもそうなのでみんな半ば諦めている。自分の頭で考えてくれないし、そもそも技術を学んでいこうという姿勢がないからスキルが積み上がっていかない。2年ほど前に入ってきた時とまだ同じ場所にいる感じだ。
プライドもないから新人に追い抜かれていても全然へっちゃら。年の功、というと聞こえがいいけど、単に年上であるという立場の権力のみで仕事をしている感じだ。
まあそんな人でも、会社に人手が足りなすぎるので使っていて、使っているから仕事のクオリティは下がるし出来る人が被害を受けているという状況だ。
考えられないのではなく、考えないことを選択している
そもそも何が問題なのかというと「自分の頭で考えない」ことなのだと思う。自分で考えると疲れると認識している節がある。自分の考えで動いたことによる責任が持てないということだろう。
なにも、考えられない人というわけじゃなく、考えないことを選択している感じなのだ。
「ああ」のおじさんはアルバイトなので、とにかく自分が楽になるようにということを念頭に置いて動いている。というわけで自分では考えないのだ。
上の指示がないと動かないで指示を待つだけ、指示を仰ぎにもいかないというスタンスだ。これは自分が楽だからそうしているのだろうと思う。言ってしまえば奴隷思考なのだ。
それでも、指示を待っていてばかりだと怒声を浴びせられる。それこそがストレスだと思うから、そんな奴隷思考の人は減っていくはずだと思うのだけど、案外そういう人は怒られるということに強い。怒られるということに対して謎の耐性がある。恥ずかしさとかプライドとかがないのだろう。
怒られることに慣れてしまっているのだ。しかしまあ自分で考えて動く労力と怒られるストレスでを天秤にかけて、怒られるストレスを取るというのは僕には全く理解のできないことではあるが。
指示待ち人間が生まれてしまう経緯はわかるのだけど、それでも「ああ」のおじさんはそこに当てはまらないと思う。生粋の指示待ち人間という感じがする。
おわり
今のネット時代は困ったらネットを調べれば答えが出てくるので、自分がやったことがないことでもだいだいうまくいく。大した知識もないのに、自分一人のない頭を振り絞るよりも、ネットに頼ったほうが断然いいアイディアが見つかる。
けれども、自分の頭で考えてやったことがうまくいくと、別に大したことじゃなくても嬉しかったりする。自分の頭で考えるというのは楽しいことだ。
この楽しさを忘れてしまっては人生はつまらないものになってしまうと思う。僕も立場上はこの思考停止したおじさんと同じで、奴隷思考をしていた方が楽な立場だけれど、考えることはやめない方がいいよなと思う。
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