<数年前に書いたブログです
歳と重ねると人はなかなか
変われないものだなぁと感じます>
人のふり見て気づくこと
人間はどうしても、歳を重ねるごとに素直な心が失われていってしまうと思う。
生きていれば少なからず、裏切られたり、騙されたり、ネガティブな人生経験をする。そういう経験をすると、人の心の裏を読むことを自然とやっているので、まっすぐな反応、素直な心が無くなってしまったりする。
ぼくは子供の頃からそもそも素直じゃなくて、あまのじゃくという感じでそのままきてしまった。が、このまま歳をとってしまうとただただひねくれ者の、みっともないおじさんになってしまうなあと最近思うようになった。
これは職場のぼくより年上のおじさんを見ていて感じるようになったことだ。人のふり見て我がふり直せだ。
こだわることはいいことだけど、そのこだわりが行きすぎて頑固になって意固地になって、自分で身動き取れなくなっている人が僕の身近にいる。
新しい便利な機材の導入
ある時、現場に新しい機材が導入された。メインの機材ではないが、仕事の効率を全体的に底上げしてくれるようなサポート的なものだ。
少し危険な作業も、この機材を使うことで危険性を意識する必要がほとんどなくなり、安心して作業だけに集中できるという非常に便利な機材だった。
仕事の進捗が劇的に変わるわけじゃないが、この機材を使うようになってからというもの、精神的な負担が軽減するのでストレスが減り、より負担なく仕事ができるようになった感じがある。
この機材が導入されてもう数年経っている。うちの会社ではみんな便利だと言って必ず使っている機材だ。
使わないで起きた事故
しかし、頑なにその便利な機材を使わず、自分の昔ながらのやり方を押し通すおじさんがいる。
使うように促しても「自分はそんな助けは必要ない」といった感じで使ってくれない。まあ作業自体のスピードがそれほど変わるわけじゃないので、会社からもその機材を使用するようにと強くは促さなかったようだ。
先日そのおじさんが事故を起こした。
先日の作業は、その画期的な機材を使用しても少し危険性のある作業だった。なのでみんなは機材を使用した上でいつもより気構えて仕事をしていた。そんな中、おじさんは機材なしの昔ながらのやり方だ。
そのせいで、おじさんだけが事故を起こした。もちろんおじさんが気をつけて作業していなかったわけじゃないと思うけど、機材を使用していれば起こらなかったかもしれない事故だった。
事故で現場は少し止まってしまったが、不幸中の幸いで大事には至らず、おじさんに怪我はなかった。
素直さを失い意固地になったおじさんという悲しい生き物
なのでその後も同じ作業を続けたのだが、事故後に機材の使用を指示された(もはや命令のような感じ、当たり前だが)のにも関わらず、おじさんは頑なにその機材を使わなかった。
さすがに使えよとみんな思っていただろうが、あの強目の言い方で使わないんだから誰が言ってももう無理だろうなという感じで、なし崩し的にそのままになった。
あの時、おじさんは意固地になってがんじがらめになっていたんだろうと思う。事故を起こした恥ずかしさと、自分が守ってきた謎のプライドで、機材を使うわけにはいかなかったんだろう。ああなってしまうともうおしまいだなと僕は思った。
素直さを失い意固地になったおじさんというのはとても悲しい生き物である。僕はなるべく素直な心で生きていきたいなあと思う。
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