<こちらは5年ほど前に書いたブログです
この時ぼくも一緒にやめていれば
無職ではない
違う世界線もあったんだろうなぁ
などと思ったりもします>
僕が働いている会社では、最近ごそっと人が辞めた。辞めてしまったのはみんな、仕事が出来る人たちばかりだ。
そういうわけで、仕事がものすごく大変になった。僕にかかってくる負担は増えた。
それよりもっとダメージが大きいことがある。精神的ストレスだ。
辞めていった人たちは冗談などを同じ目線で言い合える人たちだった。仕事がわかっているからこその会社の愚痴などを共有していた。
今ではがっちがちに真面目で、冗談の通じない人だったり、仕事ができない人が残っている。
仕事ができる人も残ってはいるけど、コミュニケーションをあまりとらない職人気質なタイプだ。自分は自分のやり方で仕事をする、チームだろうが関係ないというタイプ。
僕の仕事はブルーカラーなのだけど、あまりにも理不尽なことが多い。そういう理不尽などを、ネタとして消費していくという方法でストレスを発散していた。
仕事ができる人同士の共通話題のような形として、笑い話に変えていたのだ。それがわりと楽しかったりするからなんだか不思議な話ではあるが。サラリーマンの居酒屋トークみたいなものなのかもしれない。
ともかく、そういう風にネタ消費をしていた仲間がごそっとやめてしまったのだ。
これはつらい。どんどんストレスがたまっていく。辞めた人はみんな、ネタとして消費していく許容量を超えたと判断して出て行った。
僕が属しているのは、優秀な人から辞めていく、あまりよろしくない会社なのだ。
僕はそこまでの行動力がまだないので辞めていない。辞めていった人たちよりは、ある程度自分の裁量で仕事ができる立場なので、まだ辞めるまでには至らない。
辞めると聞いた時は、その方がいいよと勧めたし、多少仕事が大変になるくらいだろうなぁと思っていた。
その予想通り、仕事は大変になった。それはそれでいいのだけど、予想してなかったのが精神面だったのだ。
思わぬところで自分は助けられていたのだなと感じた。いかに無駄話や軽い愚痴が大切だったか、痛感している。
共感、共有は人間の心の拠り所だ。いつの間にか自然と作られていった、それなりに居心地も悪くなかった場所がなくなってしまった。こう言うのもベタな話だけど、失ってから気がつくものなんだなあ。
そのことに気がつくのが少し遅かったなと後悔している。
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